こんにちわ、歴史と漫画好き。
いのまんです。
今回は約15年ぶりに横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」を読んだ感想を書いていきたいと思います。
現在2021年7月
暑くなってくると思い出すのが、1985年8月12日に起こった世界最大の飛行機事故「日本航空123便墜落事故」。
管理人が生まれた1985年、更に誕生した約2週間後にこの世界最大の事故が起きました。
そのため、子供のころから母親からは
「あんたが生まれた年はすごく暑い年で、そして生まれた2週間後くらいに日空ジャンボが落ちたから、そのニューズをなんども見ていた」
と幾度となく聞かされました。
そのせいもあって、この飛行機事故に関しては自分の中では風化することなく1年の内に何回か思い出す出来事です。
本作品「クライマーズ・ハイ」は文庫化された大学生当時に読んで映画館にも行きましたが、最近古本屋でタイトルをみて久しぶりに購入してみました。
読み始めるとあっという間で約5時間ぐらいで読み終えてしまうほどに、読書中の自分がまさしく「クライマーズ・ハイ」に陥っているかのような感覚で読み終えました。
横山秀夫先生は本当にすごい作家さんです!
では感想を書いていきます。
昭和の当時でも乗り遅れていた
群馬県の地方紙・北関東新聞社が本作品の舞台。
時代背景としては1985年(昭和60年)、令和に入った現在としては2つ前の年号の時代です。
時代は変化をしているのはこの時代ももちろんそうで、携帯電話がまだ普及していなかったこの時代に置いて各新聞社には無線通信が置かれていたそうです。
しかし舞台は群馬の地方新聞社、そんな流行りもんにお金をかけている場合ではないというばかりに取り入れようとしない描写があります。
どうでしょう?
時代が変わっても議論となる問題は今と変わらないと思いませんか?
現在自分がこの記事を書き上げている現状はコロナ過であり、自分の居住地区では緊急事態宣言がやっと解除されたばかりです。
ただ、緊急事態宣言は今年が初めてではありません。
前年の3月から同様の政策は行われています。
ここで問題となるのが、
”リモートワーク”
出社人数を制限しましょう!
在宅勤務を進めていきましょう!
と言われる中で、それができた会社は一体何社あったでしょうか?
東京住まいではない、自分が勤めている会社に関しては”リモートワーク”はやらないと即決していました。
管理人がやっている仕事は営業事務に当たるので、PCと℡があればどこでもできるような仕事なのですが、わざわざ会社に来ての勤務となります。
やろうと思えば全然できるのに、その事を考えないのは似た空気感を感じざるおえませんね。
結局、減座にいる若手記者たちは張り込みをしているにもかかわらず張り込み現場から往復15分もかかる公衆電話から電話をかけるという、今の時代から考えると非常に非効率的な対応を迫られる結果となっています。
無線さえあれば締め切りにも間に合ったという場面を考えると、会社の判断は怠慢としか言えないと思いますよね。
過去の栄光にすがる
若い人たちに嫌われる”俺の時代は”という問題も発生します。
本作の部長世代、主人公・悠木の上司にあたる世代の人たちは1970年代初頭に群馬県で起こった大きな事件「大久保清事件・連合赤軍」で現役記者として活動していた人たちです。
端的に”この2つの事件を経験したからこそ俺たちはすごい記者だった”というのが部長世代のプライドで年下世代に大きな顔ができる。
約15年前に起こった事件が自分たちのプライドで、その事件以上にインパクトのある「日本航空123便墜落事故」が起こってしまったら、若い記者に対して威張り散らすことが出来なくなってしまう。
今も昔も変わらない酒の席で付きまとう自慢話、この話が「大久保・連赤」の話が霞むような手柄は取らせないようにと動く上司の行動が読んでて悩ましいものがありました。
落ちてくれるなと願う本心
本作主人公で北関東新聞社の遊軍記者・悠木和雅は初めて事故関連の紙面編集を一手に担う日航全権デスク就くこととなります。
墜落する日空ジャンボは、長野と群馬の県境に墜落した墜落当初は詳しい場所が特定されていませんでした。
そのため、悠木は群馬には落ちてくれるなと願ってしまいます。
そう、上記の上司たちとは違う想いで主人公も”命”を考える前に事件の大小を考えて墜落場所が地元にならない事を願ってしまっています。
つまり、全権デスクをやるにはあまりにも荷が重い責務だという事で、その責任から回避したいと考えてしまいます。
正直、この気持ちはよくわかります。
自分も現在30半ばで自分ができる仕事の質が、与えられた仕事以上の質を出しにくくなってきました。
悠木に全権デスクを任せた編集局長・粕谷は、無理やりでも引っ張り上げようとしたという事がわかります。
そして悠木は自分の信念に基づいてデスクとしての仕事を務めあげようとしますが、世界規模の大事件での全権デスクを務めた代償は小さくはありませんでした。
最後は社長に歯向かった事で、閑職へと追いやられています。
価値のある命と価値のない命
始めて全権デスクを担う悠木、年齢は40歳を超えているのに役職にはつかずに遊軍記者として仕事をしていました。
ただ、それでも部下を持ったことはないわけでは無くて望月という新人を担当したことがありました。
その望月は「死者の顔写真を新聞に掲載する必要性について」悠木に食って掛かり、人の死をネタにして新聞を売る事に対して憤りを感じて自殺に近い亡くなり方をしてしまいます。
作中の時代は昭和、精神論・根性論がはびこる時代真っただ中。
いのまんがもっとも大っ嫌いな部類の人間たちがわんさか出てくるんです。
けど、作品に熱量を求めるならば精神論・根性論も重要なファクターとなるので一概には言えないんですが・・・
その望月の死に対して従兄妹の彩子が悠木に新聞の読者欄に載せてほしいと言った文章の一文で
「命には、大事な命とそうでは無い命があるんですね」
というセリフです。
ほぼほぼラストシーンに書かれる話ですが、
それまでは事故現場の雑感を載せるか載せないか
「大久保・連赤」以上のスクープを載せようとしない上司
飛行機が墜落した原因の特定
そしてその自己原因に明確なる理由はあるのか?
と世紀の大事故を扱う新聞社としての仕事現場が圧倒的熱量で描かれていたのに、ラストでは一転して「命」という言葉が出てきます。
520名の命を一瞬にして奪った飛行機事故、はっきりいうと520名分の記事、そして飛行機・会社といくらでも重要視する着目点が多い事故なんだと思います。
対して新人記者だった望月は、暴走した挙句の単独事故となると書ける内容にもすぐに限界が来てしまいます。
けど故人には家族がいます。
その家族一人一人がその人の死に対しての想いがあります。
そこに優劣をつけることはできないけれど、商品として仕上げる新聞では優先される事柄ができてしまうんですよね。
それまで飛行機事故の小説を読んでいたいのまんでしたが、この一文を読んで、520名一人一人の命の重みを感じる作品で、学生時に読んだ時とは全く違う読後感を抱いてしまいました。
最後に
「クライマーズ・ハイ」は、佐藤浩市さん主演のドラマ版と、堤真一さん主演の映画版があり両方興味深い作品に仕上がっていました。
もし見た事が無い方にはイチ押ししたい作品で、さらに原作も手に取ってもらえたらなと思います。
横山秀夫さんはもっと記者だっただけあって、読ませる文章が非常に上手い作家さんだと思いますよ!
ではでは、長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。したっけね!
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