羅川真里茂作「しゃにむにGO」佐世古駿は何につまずいた!?駿の壁を乗り越える力がある!

漫画 

こんにちわ、いのまんです。

今回は羅川真理茂先生作、「しゃにむにGO」というテニス漫画について!
若干ネタバレしてしまいます!全巻読んでから訪問してくれる事をおススメします!

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メンタル面特化のテニス漫画

「しゃにむにGO」はテニス漫画ですが、少年漫画にありがちな技術や技を見せるというよりも、スポーツ選手のメンタリティを重視して書かれてます。

スポーツでもスポーツ以外でも本番に練習通りの力が出せていない方って数多くいると思いますが、「しゃにむにGO」の主人公たちを見れば、その改善策や勇気を貰えるはずです!

表向きに分かりやすいのが、W主人公の一人・滝田留宇衣。
選手のとしての評価は、技術面は世界のジュニア選手に劣らないが体力・メンタル面に課題有り。
留宇衣は作中で何度も試合に集中できないという場面が描かれています。

そしてもう一人の主人公・伊出延久、二人の最大のライバル・佐世古駿。
それぞれがトップ選手になるために乗り越えなくてはならないメンタル面の壁を持っていて、羅川先生の筆力によって細かく映し出されています。

羅川先生はスポーツ経験者ではないはずなのに何故こんなにも緻密に描けるのかが不思議でたまらない。。

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シングルがシングルスと呼ばれる所以

テニスを始めとしたラケット競技、卓球やバドミントン、1対1の対戦を”シングルス”と呼のだが、コートには一人なのになぜ”シングルス”なのかと言うとそれは相手がいないと成立しない競技だから。
ゆえにシングル”ス”と複数形となっています。

自分の大学時代のゼミの先生が、元・日体大バドミントン部で北海道の某高校をIH常連校となる礎を築いた方。(ちなみにバドミントンに関しての論文も書かれれてました)
その方がよく言っていたのが「なんで0点の事を「ラブ」と言うのか?」という事。

テニスでもバドミントンでも卓球でも「ラブオールプレイ」という掛け声のもと試合が始まるが、この「ラブ」という意味に関しては実ははっきりとした解明はされていません。
だからこそ、大学時代の先生は独自の解釈を行ってました。

「ラブオールプレイ」の「ラブ」は、「互いを愛しなさい」という意味。
ちょっと臭いセリフで学生時代に聞くとこっ恥ずかしかったのですが、少し大人になれば納得できるんです。

プロ選手がよく「相手をリスペクトして」という言葉を聞かれると思うが、よくよく考えれば「愛」という表現を使っていて言葉は違うけど相手をリスペクトしなさいって事です。

相手の事を知り、尊敬する。
そして「オール」という事は「相手も自分も愛しなさい」という意味なんですね。

「リスペクト」が本作品の鍵のもなります。
そんな事を考えながら「しゃにむにGO」を読むと、羅川先生は凄いと改めて思わされました。

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気持ちの切り替えがモンスター

駿の強さは”個”の強さです。
しかし終盤は自分の事だけしか考えられず、目の前の相手が見えなくなりました

延久・留宇衣にとっての最大のライバル・佐世古駿。
彼の強さが本作品最大の焦点となるメンタリティもっと人物で、駿のパフォーマンスの安定は連載当初から精神的に大人と呼べるメンタリティを持っていていた事がポイントとなってます。
劣勢な場面で、気持ちの切り替えは怪物メンタルすぎます。

技術もさることながら世界ジュニアでもトップクラスの成績を収めているのは強靭なメンタリティが特徴と言えます。

名家で育った佐世古駿は、幼い頃から佐世古家を継ぐという使命を持って生活をしていました。その使命感から精神面が早く成熟しました。

駿が佐世古家の闇に捕まったのは?

そんな駿だが、3年夏のIHでは団体戦で延久に、個人戦で留宇衣に敗北します。
彼に一体何が起こったのか?

ターニングポイントは2年夏の準決勝。
留宇衣に完全勝利を収めた瞬間が、駿の本当の孤独の始まってしまったのでしょう。

駿は留宇衣に愛想笑いが上手で、本当の感情を見せていないと言われていました。
けどそれは瞬の性格だから問題ないでしょう。
しかし、2年夏以降の駿はミレーユやナディアも避ける様な場面が見られています。

駿の抱える孤独は、他者への恐怖心から来るものです。
留宇衣は基本的に誰かに甘えたりも依存するような事もありません、駿にとっては留宇衣のテニスの実力が信頼しており、安心して自分の視界にいれておける重要な存在でした。

ただ信頼していた留宇衣を倒した事で、駿の視界から留宇衣は消えてしまいます。
自分が認識している存在を自ら手放してしまいました。
後に残ったのは、自分に無償の愛情を向けてくれるひなこだけ。

駿が3年の時、留宇衣と延久に負けたのは二人に対してのリスペクトです。

大会が始まる時点で
「もう国内は見ていない、見ているのは海外だ」

駿の実力からしても全然違和感ないというか至極当然のセリフではあるが、去年の時点で留宇衣とはフルセットやっている。
実力伯仲と見てもおかしくないはずなのに、駿の目には入っていません。

この事からも駿は”プロになるのを遅らせてまで出ている大会”に全く集中できてません。相手がいる事なのに、駿は目の前の相手に集中できていないのです。

「人を受け入れるのが怖い」と言っていたが、目の前の対戦相手にも集中受け入れられない状況にまで追い詰められてしまったんですね。

”Miss You”

ミレーユからの手紙、若い頃はこの意味が全然分からなかったんです。

「寂しいよ」

この手紙の意味を物理的にあるいは上辺でしか理解できてませんでした。
ナディアの「私を見て」も告白の一部かと思ったし。

けど違いますね。
ナディアのいう「私を見て」は自分自身の事を言っているのではなく、駿の事をリスペクトしている人たちの事を見てあげてと言っているんですね。

佐世古駿は、ジュニアの選手としてトップランカーですが、それ以前に日本の古いしきたりの残る家制度の跡取りです。
まだ18歳の少年が全てを受け入れるには頭で理解しても心がキャパオーバーになるのは必然です。

自分の事で精一杯になってしまって、相手を受け入れる”余裕”が無くなってしまいます。そして、自分を受け入れてくれるひなこに甘えてしまいました。

駿の強さはメンタル、我の強さと自信が最大の強さでした。
ただ対戦相手を見る事ができずに、延久を観察することができずに彼の実力を常に格下に見てしまい、留宇衣が乗り越えた壁を見つめることができなかった。
二人は国内選手だけど、駿に並べるほどの実力をつけてきた事を受け入れられませんでした。
シングル”ス”をせずに、自分の殻の中で対峙してしまいシングルとなった事が終盤の敗退へとなってしまいました。

佐世古家の”闇”と作中では出ましたが、作品をずっと読んできたファンなら駿が乗り越える力を持っているのはご存じでしょう!
ただ、3年夏のIHが散々だっただけです!
駿の周りには家族、ライバルである留宇衣、友人であるミレーユやナディアがいます。

”孤独”を癒すのではない、元々駿は孤独ではないのですからね!

さいごに

延久と留宇衣の話も書きたかったけど出だしと駿様の話だけで文字数がパンパンになってしまいましたので2記事に分けます!

駿が大人とは書きましたが、作中序盤ではひなこの発言に駿が八つ当たりする場面もあったりするんですよね。
完全なんていない、みんな大人の不利が上手くて駿は大人のフリをするのが人よりも早くできるようになっただけのティーンエイジャーなんですよね。

ではでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
続きありますので良ければ読んでください!したっけね!

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